【昭和のタンポン】から昔の生理事情を紐解いてみた!生理用品の歴史には、とある女性が関わっていた
まずはこちらの動画をご覧ください!
女性ホルモン大学のTikTokの中でも過去一のスピードでミリオン再生を突破した昭和45年のタンポン「シャンポンヤング」です(今から52年前!)
まるで歴史の一部を見ているような気分ですが、視聴者さんの中には「懐かしい!」「こんなふうに使ってた!」「実家で見たことがある」などなどというコメントも。
今では販売されていない「スティックタイプのタンポン」。一体どんな使い方をするタンポンなのか、その前後でどんな生理用品があったのか、について気になったので何冊かの本を手に取って調べてみました!
今回は生理用品の歴史が学べる記事です、ぜひ最後までご覧ください!
《潤滑剤付きのタンポン?!》
先ほど紹介した昭和45年のタンポン「シャンポンヤング」、一体どんなタンポンなのか中身も気になりますよね。
開封した動画がこちら↓
タンポン初心者でも挿入しやすいようにするためか、タンポンには潤滑剤がついており、挿入するときのアシストとして専用のスティックもついていました。現在普及しているプラスチックのアプリケーターが誕生する前のタンポン挿入のサポート役としてスティックは付いていたのでしょう。取り扱い説明書にも「初めて使うあなたにぴったりの、なめらかタンポン」と書かれているので、挿入するというハードルを下げるための工夫が見受けられます。ちなみにスティックは棒付きキャンディーの棒部分と似ていました。
開けると一つ一つが錠剤のお薬のようにタンポンが密閉されていました!
さすがに50年以上も前の製品だったので、潤滑剤は乾いており、タンポン本体を触ってみてもペタっとする程度でした。タンポンを棒に刺してみるとこんな感じです。
かなり昔の製品なので実際に装着することはありませんでしたが、箱から取り出して、個包装を開けて、紐を取り出し、スティックを装着する…という工程は少し手間に感じました。
残念ながら、シャンポンヤングの具体的な販売期間などは調べても見つかりませんでしたが、よくパッケージを見てみると、こちらのシャンポンヤングを販売していたのは、現在、男性用コンドームやベビー用品、医療用製品を取り扱う会社さんでした。昔はタンポンも取り扱っていたということが驚きです…!
タンポンを数える単位数も「10個」ではなく、「10TAMPONS」というところに時代を感じます。
《今も昔も、日本はナプキン派》
現在日本で最も使われている生理用品は使い捨てのナプキンですが、実はタンポンの方が販売された時期が早かったことはご存じですか?
日本でタンポンがはじめて販売されたのは、1938年。それから数十年経って1961年ごろから生理用ナプキンが販売開始されました。
タンポンが販売開始された当時は、とても使い捨てで日常使い価格では販売されておらず、戦時中はタンポンにも使われる「脱脂綿」が優先的に戦場に送られていたことも相まって、タンポンが劇的に普及することはありませんでした。
また、衛生用品であっても膣内に異物を入れること自体に偏見があった文化も重なったことが現在の低いタンポン普及率にも影響しているとも言われています。
では昔の人は生理中をどう過ごしていたのでしょうか?
使い捨ての生理用品が生まれる前の大正時代、「月経帯」と呼ばれる防水性のある下着が存在していました。月経帯とは、ふんどしやTバックのパンツと似た形状の昔のサニタリーショーツの名称です。経血が服に漏れないように、という視点は現代の吸水ショーツと似ていますね。現代の吸水ショーツと違って月経帯はゴムが使われていました。大正ごろに「ビクトリヤ月経帯」と呼ばれる国産の月経帯が開発され、それまでの生理に対する「穢れ」のイメージを払拭するような華やかな広告を打ったことで非常に人気の商品だったそうです。こちらも戦時中の物資不足などの影響で廃れていきましたが、当時の女性たちの生活に大きな変化をもたらした製品でした。
ではどのタイミングで使い捨ての生理用品は普及していったのでしょう?
《アンネ=生理。使い捨てナプキンが登場した時代》
日本で一番使われている生理用品、使い捨てナプキンはとある女性が立ち上がったことで生まれました。
衛生面でも不十分な素材で自作された生理用品や月経帯など、当時の生理用品はとても使いやすいとは言えず、多くの女性が生理期間中の過ごし方に苦労していました。そこで、性能の良い生理用品が必要であると立ち上がった当時27歳の女性と、彼女のアイディアに賛同した人たちが一緒になって「アンネ株式会社」を立ち上げ、生まれた生理用品が「アンネナプキン」でした。
現代以上に生理がタブー視されていた時代に、ポップで目を引くデザインを用いた広告が大々的に打ち出されて話題となりました。その当時は「今アンネの日なんだよね」が「今生理期間中なんだよね」という意味で通じていたみたいです。製品や会社の名前で通じるくらい、大ヒットだったことが分かります。月経帯の広告と同様、タブー視されているアイテムを取り扱うときはイメージっを一新する斬新な表現が重要なんだなぁと改めて考えさせられます。
アンネナプキンは、欧米の安価な生理用品の輸入や他社の国内製造が増加するまで、第一線で日本の生理に悩む女性らを支えていたそうです。ビクトリア月経帯が一斉を風靡したのち、今となっては当たり前に売っている生理用ナプキンのベースとなったアンネナプキンが新たな風を吹き込みました。
《令和時代の生理とこれから》
大正時代から昭和まで、生理用品にどのような変遷があったのかを紹介しました!今では当たり前に売っている生理用品も、数十年遡ると製品さえもなかったと思うと不思議ですね。
今では生理用品もさらに進化して、月経カップや布ナプキンなど環境を配慮したサステナブルなものから、肌触りや素材にこだわった製品など、それぞれが大事にしている価値観に応えるような生理アイテムも増えてきました。
生理の歴史を遡ると、いつも「タブー」や「穢れ」のイメージが付きまとっており、その意識は令和の時代にも残ってしまっているなぁと考えさせられます。いまでも残るタブー意識から、さらにアイテムもマインドも進化させて、令和で「生理=タブー」が無くなるような社会にしていきたいです…!
<参考書籍>
①生理用品の社会史 (角川ソフィア文庫)(田中 ひかる・著)Amazonリンク
②月経をアンネと呼んだ頃―生理用ナプキンはこうして生まれた(ユック舎)(田中 ひかる・著)Amazonリンク
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